気ままに感想


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7『すぎゆくアダモ』

少年が舟を漕ぎ、川を遡り、川辺に暮らす人たちと出会い、いとまを告げ、ひと気のない上流で動物たちの声を聞きながら山上湖にたどり着き、そこからどこかへ行ってしまう話だというのは、12枚の絵が語る。

だが、作者は何が言いたいのだろう。短い物語で、知らない言葉は一つとしてないのにこんなにもわからない話を読むのは初めてのことだった。

少年は誕生祝に両親に送られたルーペと望遠鏡をもって、夏休みにはそこで過ごすことが恒例になっている海辺のおじの家に行った。おじの家の近くには川があった。少年が遡るのはその川である。ルーペと望遠鏡は何を意味するのだろう。少年は岩の上で長い時間何を考えて、どうして旅に出ようと思ったのだろう。

少年が頼るおじいさんは、昔はうなぎを取っていたというのにエビ取りじいさんになって、うなぎ屋を営む息子夫婦と暮らさず一人暮らしをしている。作者はうなぎの蒲焼が好物なのだろう。うなぎにこだわっている。うなぎの生態は今もってその道の学者にもわかっていないのだという。そのわからなさ加減に、昔の人は山芋がうなぎになるのだと神秘なことにしていたという。少年の旅は、うなぎが山芋になる方角を目指しての旅だというのだ。当然のことながら、うなぎ屋を営む夫婦には通じない。

物語にはもう一人老人が登場する。この老人はうなぎが山芋になるほうに行きたいという少年の気持ちを理解している。老人は哲学者を思わせる。それは作者の一面でもある。上流では密猟者とも出会う。密猟者の好意を受けながらも、作者は密猟者の孤独を書く。

少年は小舟をあやつり、少年自身の力ではない力に動かされ山上湖にたどり着く。そして、そこから消えた。

この物語に使われている言い回しは難しい。こんなにもむずかしくいう必要はないだろうと思うのだが、一つ一つ読み取っていく面白さが『すぎゆくアダモ』にはある。『すぎゆくアダモ』の面白さは謎解きの面白さである。

たとえばこんな風だ。

「最初の光が、自分の眼前の世界を示したときに自分が意識した形相を革命するようなものをルーペが見せはしないだろうということをアダモは知っていた。」

私はそこを、ルーペで見ても、肉眼で自分が見た最初のイメージとまったく違うことにはならないだろうとしてみた。

「何かのためにセミが殻を抜けるように自分を脱ぐ日が来るとでもいうのだろうか」

それは、セミは地中から出て殻を脱ぎすぐさま飛び回るが、自分にそんな日はありえないと解釈するのではどうだろうか。

だが、『すぎゆくアダモ』を謎解きの面白さで終わらせてしまうとしたら、それでもいいのだという作者の意にはまり込む。本当は作者は、その奥にある創作の意図までたどる読者に出会いたいのだ。辻まことの時空を超えた友人という言葉を大切にしたい。

エビ取りじいさんはいう。
「あの子は忘れられるのがうれしいような子だったなあ」

忘れてくれたら思いを断ち切れるということだろうか。私にはそれが、自由を求め、前に前にと進んだ辻まことの優しさを表す言葉に聞こえる。優しいという字は、人を憂うと書く。

最近、ぶれないという言葉によく出会う。辻まことはぶれない。奥の奥まで探っていくとぶれない辻まことに出会う。それはどの物語にも、どの表現にも共通している。

うなぎが山芋になるところに自分の居場所があると信じた作者、そこまで行けたらファンも本望だろう。

                                 11/10/15


6「辻まこと略歴」

おかしな略歴である。書き手によって読む人が想定されている。それなのにあちこちに転載され、それが辻まことだということになっている。
これは、一九五六年、『美術批評』に新しい世界の作家として山本太郎が、辻まことを紹介したときに書かれたものだという。それなら、どういう雑誌でこのような自己紹介にしたのだろう。

『美術批評』は、戦後の美術批評の草分け的な存在で、限られた読者だったようだ。それにしても、腑に落ちないところがあって、当時、辻まことが何を書いていたか、『美術批評』とはどんな雑誌だったかに踏み込んだら、辻まことの足跡を追いやすくなった。

辻まことは、戦地から帰還してまもなくから、カットやカリカチュアや一コマ漫画のようなものを描きながら、海外の美術について書いている。「画廊でのメモ」とか「絵についてのメモ」と題した短文だが、画家が対象物をとらえる視点や絵を見てのインスピレーションを、ボクの言葉として発信している。そして、美術界がヨーロッパに眼を向けているときにアメリカに眼を向けて、カルトゥーンという表現手段を紹介したりした。『美術批評』が辻まことを取り上げたときは、詩誌『歴程』で「虫類図譜」の連載もしていた。

『美術批評』という雑誌は、表現の自由を得た戦後の新しい創造に向けて、従来の美術批評によって新しい創造の芽をつんでしまわないように、そのあり方をテーマにした雑誌で、美術批評家はもちろん、美術研究の徒や、創作活動をしている作家や、特に美術が専門でない評論家なども参加して活発なやり取りがされた雑誌だったという。

『美術批評』五十号で、山本太郎が辻まことについて書いたわけだが、それまでも辻まことが誌面で話題になったことがあったのだろう。その紹介は辻まことの細部に及ぶ。両親から育ちといった経歴を事細かに書き、フランスで暮らしたこと、日本へ戻ってからのこと、ものの見方や考え方、加えて、諷刺に関心を持っていること、尾形亀之助が好きだということまで、紹介は十数ページに及んでいる。
そこに、辻まことが「制作ノート・メモ」と題して、創作にあたっての短文を書き、この「略歴」はそこに併記された自己紹介だった。つまり、ほとんどの読者が、辻まことに対しての知識を持ちながらこの「略歴」を読んだのだ。十才以上も年が離れていて、同じく『歴程』同人だった山本太郎が、憧れの人について書いて、本人にお伺いを立てなかったことは考えられない。舌足らずな「略歴」はこういう状況で書かれた。

同年に辻まことの評論がもう一度掲載され、それからまもなく『美術批評』は今後の方向性を固めたようで終刊した。辻まこともまた、批評することで自らの方向性を見つけたかのように、美術評論をしなくなった。それから二十年に及ぶ表現の世界での活動がありながら、他に自己紹介的なものを残さなかった。辻まことは無名を好んだ。辻潤、伊藤野枝のジュニアとしての先入観で自分を見ることも、作品を見ることもしてほしくはない、それが辻まことの創作者としてのプライドだっただろう。そして、いつの間にか美術評論の前歴に光が当たることもなく、中途半端な「略歴」だけが辻まことを示すようになった。辻まことの世界の看板に魅力が乏しいのはそういうわけだ。
          辻まことのアンソロジー 『遊ぼうよ』に収録(11'10.10掲載)
     辻まことが書いた「辻まこと略歴」にリンク
                                       

5 「イヌキのムグ」

 ムグというのは、ペットの名前である。飼い主は木挽きの市蔵。して、なんのペットかというと、イヌとタヌキの合いの子なのである。

 父親が柴犬、母親がタヌキという動物を、市蔵は会津のマタギからもらいうけ、飼っている。飼っているというのは、えさを与えている、飼い犬と同じようにしているということで、首輪をつけて行動範囲を規制しているというのではない。そこは村から遠い谷間の原生林にある市蔵のきこり小屋だ。

 ここで一週間、ムグを相手にしながら鉄砲うちをする作者の辻まことの生活に興味を持ってしまうが、それはさておいて、話はイヌキのムグである。そもそも、イヌとタヌキの間に子が生まれるかを考えてしまうが、当のまことすら、状況証拠で信じさせられているといった按配だから、そこは一足飛びに跳んで、生まれたというんだから、そうなのだろうと思ったほうがよさそうだ。このイヌキ、見た目はイヌだが、イヌらしからぬ習性があるというのだ。タヌキから生まれたのなら、それは当然なのだが、果たしてタヌキがイヌの子を産むかというと話は戻ってしまう。

 飼っているのだが、市蔵に慣れているというほどでもなく、ましてや、まことにはなかなかなつかない。昼間は眠ってばかりいるが、夜になるとタヌキのように活動的になり、やたらと穴を掘る。

 ある晩、ムグをからかいながらよっぱらったまことが、ほてりをしずめていた。秋の風も光も気持ちのよい夜だったから、いい調子で歌い始めたのだろう。二、三曲歌って、ラ・タビエンヌを歌いだしたら、ムグが近づいてひざにアゴをのせたのだという。ありえないしぐさに驚いて歌をやめたら、ハッとしたようにムグは離れて、もういちど、歌を歌ってみてもあとの祭り。ところが、歌をラ・タビエンヌに変えたらまたアゴをのせてくるのだという。どうやら、ラ・タビエンヌだけに反応したらしかった。

 同じ歌を歌っている客人に、はてと思って出てきた市蔵もムグの様子にびっくり。市蔵の提案でテンポを速めたら、今度はウッヒューと声を出した。ムグが歌ったのだ。大笑いした男二人の様子に耐えかねたらしく、ムグはその場からいなくなったが、以来ムグはなつくようになったという。そして、その後も二、三度合唱する機会があったという。

 翌年の秋、訪ねたら、ムグは一ヶ月ほど前から戻ってこないといって、市蔵は案じていたという。

 まことは、その年も、リップ・ヴァン・ウィンクルよろしく、鉄砲を担いで山に入った。鹿を撃ち損じて、谷間で追い回しているうち夕方になっていて、空腹を満たすべく、火をたいて食事をしているところに動物の気配がした。姿を確認することはできなかったが、やがて、それが、ムグだったのではないかと、まことはラ・タビエンヌを歌う。ムグが焚き火の向こうに現われた。そして、ひざにアゴをのせたのだという。まこともムグも感激したに違いない。ムグはまことと一緒に小屋に帰った。市蔵も喜んだが、イヌキのことだから、またいなくなるかも知れない。そう思いながら、ムグに言葉をかける市蔵を見る。

 いい読み心地の話で、何度となく読み返している。だが、ラ・タビエンヌという歌を知らない。もし、歌がわかったらもっと面白いのに、と思うようになって私はホームページで呟いた。そのつぶやきを拾ってくれた人がいて、ラ・タビエンヌ探しが始まった。『辻まことの世界に魅せられて』でおしゃべりをするようになった何人かが、あちこちのサイトで声をかけてくれた。

 まことはその歌をスイスで覚えたという。ラ・とつくのだからフランス語ではないか。その歌はきっと山の歌だろう。いくつかの山のサイト、フランス語のサイト、音楽のサイトに尋ね人の張り紙をお願いするかように、掲示板に書かせてもらった。

 そうこうするうちに、まことがその歌の楽譜を残していることがわかった。楽譜そのものが絵になっていて、それが発表されていた。そして、それが全集にも取り上げられていた。
趣味でいくつもの音楽ファイルを作っている人のサイトを訪ね、その楽譜をもとに演奏してもらいファイルにしてもらえないかをお願いした。お忙しそうなのにもかかわらず、そのファイルはまもなく届いた。

 もうひとつ、フランス語のつづりがわかった。やがて、ラ・タビエンヌが地名であることがわかった。一方、その歌の歌詞が、あるサイトに掲載されていると知らせてくれる人があり、翻訳までしてくれた。それはスイスの山岳地方のお祭りに歌われる歌だとわかった。歌詞と曲がそろうと、陽気な歌になった。歌の陽気さとネットの連携で歌を再現することの楽しさが加味されて、イヌキのムグとまことが合唱している光景が音楽つきで想像できるようになった。

 ラ・タビエンヌをどうぞ!
                          09/07/29


4 「夕焼けと山師」

 「夕焼けと山師」は、あの頃、あの人と知り合っていなかったら、自分は今、こういう考え方をしていただろうか。年を重ねることでたいせつに思う出会いが書かれている。友人の話といっても、そうそう味わえるような話ではなく、よく熟した果実を味わうような感動がある。

 軍部が力を持ち、しだいにきな臭くなっていた昭和のはじめ。地道に生活をする暮らしを投げ出し、気の合う男四人で、金鉱を探しをした二十代前半。

 若さゆえの無鉄砲と、金鉱を見つければ一攫千金の夢を抱えての、山から山への行脚は、一年を超え、ようやく、ひとつの金鉱を発見した。しかし、見つけてみれば、そこは金持ちの代議士が試掘権を設定した鉱区で、まるまる見つけた者のものにはならないばかりか、交渉が必要なところ。まして、採掘となると、手に負える仕事ではなかった。一人の年寄りの山師が、そういうときに、相談にのってくれそうな人として紹介してくれたのが、三十年たって友人と呼ぶSだった。

 「Sの住居は、現在でも同じだが、東北のあるローカル線に沿った古い城下町の、いかにも下級の武士の住んでいたような、二階家ではあるが、軒の低いこじんまりした家だった。」と書いてその地を明らかにしていないが、こういうときにはあの男といわれたSは自分と同年代の青年だった。

 しかも、風流を好み、山師然としたところがまるでなく、落ち着いた口ぶりだったから、訪ねたまことも興味を持ったが、当のSもまた、ザックにスケッチブックなどを縛りつけ、金の母岩を見つけたから相談にのってくれと現われたまことに関心を持ったらしく、話を聞くのに、一緒に酒を飲み、来し方を語り、一夜の宿を提供した。

 若くしてそういう生活をするSを、揶揄する気がなきにしもあらずだったのだろうが、水を向けられて語り始めたSのそこにいたるまでの生活は、想像だにしなかった厳しいものだった。硫黄を発見したとき、若かった自分を叱り、励まし、助けてくれた人がいて、その人のおかげで、いま、ここにこうして暮らしている。満足に小学校にも通えなかった日々だったから、いま、勉強しているのだが、金鉱を見つけて悠々自適の生活をしているようなうわさが流れているらしく、金鉱のことで相談に来る人がいて、だが、それも、他人事に思えないので相談にのっているのだと話す。

 そして、まことのスケッチブックに興味を示して、一枚ずつ見ていって、夕焼けの空の下に山が描かれていた画に目をとめていう。あなたの山の画は、裾より頂上がよく描けている。これは山師の目付きではない。そして、夕焼けの空の色がいいし、いちばんはっきり描いてある。山師になりたい人なら、足元にこそ関心があるものでしょうと、その後の金鉱探しの気をそいだ。Sとの出会いは、含有率の高い金の原石を見つけた感動にも匹敵したようだ。そのとき見つけた石は、Sの世話で一年の労働の糧になり、まことはそれを限りに金鉱探しに終止符を打った。

それから、細々ながら交流があったことが伺える。戦後、消息が知りたかったのだろう。まことが訪ねている。それからは賀状のやり取りぐらいだったのだろうか。会った回数は多くないにしても、Sが、たいせつな友人であることが伝わってくる。

 Sは床の間に花を活けていたという。その活け方がその町の伝統の流派で月心流だというので、その町を知りたくて月心流を探したが、活け花の流派にはなかった。図書館の調べもの窓口で、司書のかたに手伝ってもらったが、わからずじまいになっている。その町で町長をした人なら調べようとしたら、特定できるはずで、そこをぼかすのが、辻まこと流といったところだろうか。

 この話の味わいから、果物なら完熟のさくらんぼとして、それならその地は山形。最上川のあたりも考えられるが、むしろ内陸の米沢あたりでは、と推測して、旅心をそそられている。

                          09/07/26


3 詩――かっこう――のまわりで
    或いはうすやみのなかでかっこうの声を聴いた男が自分に言いきかす感想

 矢内原伊作は『続・辻まことの世界』で、まことが金子光晴の詩について書いた「詩---かっこう---のまわりで」を再編した。この文章に出会わなかったら、私は辻まことという人にこれほどの関心を持たなかっただろうと思っている。発表の時期、雑誌とも不明だが戦後の早い時期のものだと書いてあった。まことはこの詩人はいつ私の心からこの言葉を盗んだのだろうと思うほど、この詩には自分の意識が模索していたものが表現されていたと書いている。辻まことはこういう孤独をもっていた。この詩がいつ、どこに書かれたものなのか気になっていて、確かなことを知りたいと思っていたら、みすず書房の辻まことの全集で明らかにされていた。昭和23年『鱒 二月』とあった。前年帰還し、イヴォンヌと別れた年だ。『鱒』は商業誌ではないかもしれない。当時まことはまだ文章らしい文章を書いていないのだから、商業誌からの依頼で書いたとは思えない。辻まことの絵が年を重ねたことで変化したか、どのような変化だったかを語るほど絵の見方には通じていないが、文章に関しては明らかな変化を見る。いや、文章の変化ではなく、それはまこと自身の変化だったのだろう。人はきっかけがあれば変わることができるのだ。この随筆からそのことが見える気がした。この文章のあとのまことの創作に現れた激しさとその後の明るさに私は希望を見た。

 読みやすい文章ではない。すんなりと感覚で受け止められるのを拒絶しているのではないかと思うほどいたるところでつまずく。しかし、それだけに一言一言にまことの生理とも思えるような感情が慎重に露出されている。後にこれほど生々しくまことの感情を見る文はない。それだけに、貴重な文章だと思う。おそらくは、己の中に決別をしたい感情が渦巻いていて、我知らずこれを書き上げたのではなかったか。

「詩――かっこう――のまわりで」は金子光晴の詩「かっこう」に添って跡づけをしたもので、読者としての航跡だとある。本題に入る前に書いたことがその後の表現姿勢になって、辻まことの世界といえる独創が出来上がっていったといってもいいのではないだろうか。他人と共有することのない自分のうちに生じる疑問の答えはどのように得られるものなのか、それが判れば、ことはそれほど難しくはない。その疑問を言葉にすることさえ難しくて、それを言葉に代えようとすれば、それは往々にしてその疑問の本質から離れる。時に、ある人にとって、詩が答えになる。詩人が自身にむかって、几帳面に語り、つぶやいた言葉が、言葉に代えれないまま心の片隅にしまいこまれたまことの問題を解くきっかけになった。こうして、辻まことは自身の孤独を言葉でとらえた。とらえて、必要なものなら残すし、不要なら捨てればいい。この場合、金子光晴の創作の跡をつけることでそれが可能になったといっているのだろう。

     *  *

   「かつこう」              
                   金子光晴

しぐれた林の奥で
かつこうがなく。
うすやみのむかうで
こだまがこたへる。
すんなりした梢たちが
しづかに霧のおりるのをきいてゐる。
その霧がしづくになって 枝からしとしととおちるのを。

煙につづいてゐるみちで
僕は歩みを止めてきく。
さびしいかっこうの声を。
みじんな水の幕をへだてた
永遠のはてからきこえる
単調なそのくりかへしを。

僕はじぶんの短い生涯の
ながかった時間をふり返る。
愛情のまばらだった
うらぎり多かった時を。
別れたこひびとも
ばらばらになった友も
みんな霧のなかに散って
このきりのなかにゐるのだ。
もう さがしやうさへない。

はてからはてまで
みつみつとこめる霧。
とりかへしつかぬ淋しさだけが
非常なはやさで流れてゐる。

霧の大海のあつち こつちで
よびかはすこころのように
たよりあふ心のように
かつこうがないてゐる。
かつこうがないてゐる。

     *  *

 まことは「・・・・・・この最初の三行だけで、私は、人間の孤独と、孤独な人間の世界が、明確 に表現されていることに驚嘆する。」と書いた。自分が深く心の奥底にいたわりながらしまっておいてある感情をこの詩人が言葉にしたということだろう。まことは金子光晴の言葉を借りて、自分の孤独をそっと出した。

 「単に時空を共有しているということだけで、体温を暖めあおうとする、人間の生理がどんなにむなしいものであるかを、孤独者は知っている。誰かと笑いあった、誰かと涙をながしあったことの虚妄、それらのあいまいな妥協。実際をともなわない経験のながったらしい時間的空白。自分自身に対する愛情の稀薄と、無意識なうらぎりにみちた幾日かを、私もまた悔恨とともにおもう。
 いまはすぎさった恋人や友、その人々に、もう一度私の誠実を示したい、もしそれが無縁なふれあいであったというにしても。追憶に浮かぶ日々は、ながい一時間のように空虚だったと告げるにしても。」

 まことが別れた人たちに寄せた心だ。、辻まことが、辻潤と伊藤野枝の息子とあればどれほど孤独は深く根を張っていただろうと思うのに、辻まことという人はなんともスマートにかっこよく自分の孤独を人の目にさらした。まことは孤独を身から離した。そして、それ以後、孤独については過去形で語る。自分が救われたように、芸術がしばしば、重荷を背負った人の助けになることを思い、願いながら自らも創造という作業に情熱を注ぐことになった。まことの創作には金銭のための仕事と割り切れない程の思いが込められている。
 
 金子は裏切られても裏切られても、生涯一人の女性を追い求めた。辻潤が『絶望の書』を出し、金子光晴は『絶望の精神史』の著者だというなれば、偶然とはいいがたい何かがありそうだ。金子光晴についてはネットにある知識しかないことを白状しておくが生き様が辻潤と重なるものがある。辻潤が1884年生まれ、金子光晴は1895年生れ、親しい付き合いがあったという。辻まことの孤独は、本来なら辻潤の孤独で、精神的に父がまことに依存したことでまことが抱え込んしまった孤独だったような気がする。孤独とは案外そうしたものかもしれない。この随筆を書いたとき父は亡き人になっている。それゆえに、この「かっこう」について書くことで、無意識にその暗さから抜け出そうしたように私には思われる。

 数年前の夏、海辺の松林で鳴くかっこうの声に足を止めた。懐かしさを覚えたが私の心に押し寄せるような孤独はなく、私と同じく足を止めてこの声を聞いている人がほかにもいるだろうと思ったことだった。

                           07/7/01


2・草野心平「火の車」について

「火の車」

黒い海にいつしか消えた。
火の車。黒い海と黒い空との一と色の。
ただその黒さ。

眼が醒めたとき。あたりはいちめん森としていた。
もやのようなもののなかにきこえるのはおやぢだな。
後片付けだな。と思った瞬間。まぶしい光がぱっと
きた。半分開いたガラス戸から見える曲尺型の路地
に。いつのまに降っていつのまにやんだのか。赤提
灯の灯が巴丹杏の汁のように雪の上に映っている。
板台におれはまたガタッと額を伏せた。とたんに眩
暈がして。おれの頭の中には荷車のようなそんな
車が火を吐いて(いつもの通りだ)廻りだす。そい
つがするりと抜け出して黒闇のなかにころげだした。
(逆立つたてがみ虹たつ雪)路地から路地をかけめ
ぐり五六層建の黒いビルディングに駆けあがる。も
んどり打って道に墜ちると炎は消えて鉛の雪。する
とまた舌なめづりがはじまってゆらゆら大きな炎に
なり起き上がって高架線らしいところを突っ走る。
写楽色の二本のレールの真ん中をぐるぐるぐるぐる
遠のいていく。どうやらレールは黒い海のなかには
いるらしく。だんだんそれは。一つの鬼灯になって
消えてしまった。

黒い海と黒い空との一と色に。
やまぐみのやうなあかりが見え。
火の車。
またまたそれは唸りをあげて迫ってくる。

サラマンドラ。
サラマンドラ。

歩いていた。
ぐっしょり濡れたマントのおれは。(アストラカン
のシャッポからは雪になるまへのさつきの霙の滴が
おち)十二指腸のやうに曲がりくねっていただろう。
おれはぐらぐら。

サラマンドラ。
サラマンドラ。
おれの悪夢。
なんの象徴かべらぼうめ。
頭の中を。
なめづる舌の。
火の車。
==========================
 サラマンドラ、サラマンドラと火の中に棲む幻の竜は、火の手を大きくする。何の象徴かべらぼうめ。

 まことが深く人とかかわりを持たずに、生きていこうとしているように見えるのに反して、心平は、古い因習からも人間関係からものがれることなく、深く人とかかわり、苦悩する。心平の店の名は「火の車」という。本来の仏教語の火車は、火の燃え盛った車で、先に地獄に落ちたものが鬼となって、生前に悪行を働いた者を乗せて地獄へ運び、責め苦しめるといわれる。心平はおどろおどろしい「火の車」を書いた。酒に酔った夢と現のはざまに現れる心象なのか、悪夢なのか、心平はいつもその火の車を見る。心平は実の父親と折り合いが悪かった。その父は晩年精神を煩った。心平も苦しかったに違いない。おそらく、心平の眼には火の車に載せて責められるような悪行と思われることが現実に起きているから、見る夢に他ならない。


―――どんな寛大な精神が「許す」ことができるのか?
―――この世の現実をどんな精神が肯定するのか?

「草野心平「火の車」について」をまことはこう書き出した。

「空虚な説教が百万遍叫んだとしても、生きることは精神にとって一個の被害であること以外ではないのだ。
 ここに一冊の書物がある。一人の詩人が旅した人生の断片的な報告がある。運命は不幸にして、この人に他の人間よりは一層敏感な神経と、一層柔らかい魂を与えた。そうしてやりきれないことに一層の深い愛情さえも。 これで受難者が必要な資格はそろっている。」

ここに、心平の大きな器と自らが痛みながら人を支える慈悲をまことは、みごとにとらえた。辻まことと草野心平の関係はこの「火の車」の詩と、まことが書いた「火の車」の評論に集約されるかのようだ。まことと心平の考え方は違っていて、違っているからこそ、見守ること、手助けになることに徹しようとしたようなところがある。心平もまた、まことの精神の混沌を細やかな神経で、近い距離にいて、口出しをせずに見守ったのだろう。心平に対して持った尊敬の感情は、人間の根本の部分で信じられる存在として、まことの荒ぶる精神を落ち着かせ暖めていくかのようだ。

その詩人の怒りの「火の車」を辻まことは取り上げた。昭和26年。自らの戦争の記憶も、いまだ生々しく自身の怒りと重なるからこその批評。まことにしても、心平にしても、誠実に生きて人間として苦しみもがきながら、その実感を言葉にした。

                              07/6/10

1・「諸君!足を尊敬し給え」を読む。

諸君!これが辻まことだ

「忍耐の忍という字はなんだか踏んばっている足首を正面から見ているような字だ。」
   ん?  う〜ん、そういわれればそう見えなくもない。
「身体の一番下で全重量に耐えてがまん強く支えている足は、本当は頭や心臓よりも尊敬しなくてはいけない。」
それはそうかもしれないけれど・・・・。なんか変。しっくりこない。
私にも足はあるけど・・・・、と足を見てみる。なんとも、間が抜けた図だ。
まことには、私のように間抜けたしぐさをして、笑い出す読者がいることまで考えが及んでいたのか、いなかったのか。そんなことは、およそ気にも留めない不思議な着想で文は進む。

「諸君!足を尊敬し給え」は、足、胸、手、口、鼻、目、耳、頭が体の一部というより、一つ一つが人格のように扱われている。違和感は体が部分として題材にされていることに納得していない私の神経から来ている。しかし、産み落とされてこのかた、なんと無遠慮に五体を働かせてきたことか。尊敬したまえと言われると、足も手もねぎらったことなどたしかに一度もなかった。
「足は自由について屁理屈をこねないが、自由を実践する」
ふたたび、足を見る。私の足は自由を実践している足なのか。自由を獲得するために動かした足の持ち主に到底及ばない足の持ち主は、謙虚に続きを読んでいく。

突然、話は水虫の話になり、足は切り落としたいほどの代物に変わる。山歩きの負担をずっと背負って、まさしく全重量に耐えてがまん強く支えてきた足は、冷たい水の中で解放されて、ようやく持ち主に安堵を与える。そこで持ち主の一言。「――足よ先刻は申し訳ないことを考えてしまった。スマン」足の扱いはこんな具合だ。

ここには、胸、手、口などが、まことの思考を経て8話並ぶ。決して同調を求めるような主張ではなく、娑婆も山も一人風に吹かれて歩いてできた思想だ。まことの自由は、闘って勝ち取っていった自由ではないことが見えてくる。人は、闘って勝ち続けて敵がなくなったら自由なのか、それはわからないが、闘志を持たなくても、発想の転換だけで手に入れられそうな自由があるような気がしてくる。だからといって、我が身の足、胸、手、口、鼻、目、耳、頭に、役割を再認識していただいても、こんなにユニークなことは考えられそうにもない。まことならではの話なのである。私は、この「諸君!足を尊敬し給え」を、もっともまことらしい作品として紹介したい。諸君!これが辻まことだといって。
                 06/5/23
『辻まことの世界に魅せられて』index